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新聞記事を嘆く(13) 動詞の並列

 まえがきについては、「新聞記事を嘆く(1)」をお読みください。
このたび取り上げるのは、「政治断簡」の「「加害の記憶」めぐる対立」と題する記事(編集委員氏名入り)で、その一節をそのまま引用すれば下記のようになる。
<いまこそ、国が戦争に踏み出し、人を加害に駆り立てる構造を見つめ直す時なのだ>
この文の問題点は、「踏み出し」が、「駆り立てる」又は「見つめ直す」のどちらの動詞と並列になっているかということである。正解は前者であるが、もし後者と並列になっていると考えると、「国が戦争に踏み出し、・・・見つめ直す時なのだ>となり、これすなわち「いまこそ、国が戦争に踏み出す時であり、人を加害に駆り立てる構造を見つめ直す時なのだ」と等価の文であり、文の前半で「国が戦争に踏み出す」べきことを主張する文になってしまう。すなわち、読者は、この文を読んでいる最中に頭が混乱し、最後まで読んでから思考を巡らせてやっと正解にたどり着くのである。このような意味が二つに取れる文は、悪文であり、文を書くことを仕事にしている人にとってあってはならないことである。
それでは、この文を誤解のない文にするために、どう書き改めればよいか考えてみよう。
[案1]<いまこそ、国が戦争に踏み出し、人を加害に駆り立てる構造が、見つめ直されるべき時なのだ>
元の文で主語と述語の関係を見てみると、二重構造(入れ子構造)になっていることが分かる。まず「いまこそ」が主語で、主格を示す助詞「が」が省略されており、述語は「時なのだ」である。この部分の骨格は「いまが、時だ」である。この主語・述語の中に、もう一つの主語・述語関係が入れ子になっている。これの主語は明記されていない(隠れ主語)が、「我々」であると想定でき、述語は「見つめ直す」である。すなわち、この隠れ主語を含む能動態を受動態に変換したのが[案1]であって、この場合、主語は「国が戦争に踏み出し、人を加害に駆り立てる構造」で、述語は「見つめ直される」である。
[案2]<いまこそ、国が戦争に踏み出したり、人を加害に駆り立てたりする構造を見つめ直す時なのだ>
この「たり」は接続助詞で活用語(動詞、形容詞、形容動詞及び助動詞)の列挙に使用する。すなわち、動詞「踏み出す」及び「見つめ直す」を例として挙げていることになるので、元の文とはわずかに意味合いのずれが生じる。ただ、「たり」は列挙された活用語(今回は動詞)すべてに付くので、並列関係が明確になるという利点がある。
[案3]<いまこそ、国が戦争に踏み出す仕組みと、人を加害に駆り立てる構造を見つめ直す時なのだ>
これは、動詞の並列を名詞句の並列に転換したもので、「仕組み」という名詞を挿入している。「仕組み」及び「構造」の両方の名詞に並列の助詞「と」を挿入していて、そのうしろに「見つめ直す」の対象を示す助詞「を」が存在するので、文の意味が明確になる。ただし、元の文になかった名詞を挿入するという案は最良のものとは言えない。
[案4]<いまこそ見つめ直すべきことは、国が戦争に踏み出し、人を加害に駆り立てる構造である>
これは、語順を入れ換えて文のあいまいさを排除する案である。元の文では「いまこそ」が主語であったが、この案では「いまこそ」が「見つめ直す」を修飾する副詞になっている。
いずれにしろ、この記事は一種の論説であるが、意味が二重に取れる記事を書いていては、主張があいまいになってしまう。この記事を書いた論説委員も校正部員も二度とこのようなあいまいな表現を含む記事が掲載されないよう注意してもらいたい。
 
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