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新聞記事を嘆く(12) 歴史的仮名遣い

 これまで、「新聞記事を嘆く」では、不自然な日本語、文法的なミス等を取り上げてきたが、今回は、記事の内容が言語学的に間違っている例を取り上げる。
この記事の表題は、<この一文字でクヮンセイ  関学の「W」>である。
(1)この記事の中に下記の文章がある。
<「関」の発音を表すピンイン(中国語のローマ字表記)は「guan」。だが、発音しにくかった英語圏の人は「kuan」と発声。音も表記も「kwan」とするようになった>
ここで、英語圏の人にはguanが発音しにくかったので、kuanに改めたとしているのは間違いである。この記者はguanとkuanとの発音の違いは、頭子音gとk、すなわち濁音と清音との違いにあると考えているようだが、中国語ではgが無気音でkが有気音なのである。すなわち、両方ともkの発音なのだが、gを発音するときは息が強く出ないのに対して、kを発音するときは息が強く出る。したがって、発音記号では[k]及び[k’]で表し、後者の[’]の記号が有気音であることを示している。だから外国人が中国語を学習するとき、この無気音と有気音との違いの習得が発音上の一つの課題になっている。繰り返すようであるが、英語圏の人にとって濁音が発音しにくく、清音が発音しやすいということは決してない。これはたとえば、彼らがKate(人名)[keit]とgate(門)[geit]との発音を容易に区別できることからも分かるだろう。
さらに<音も表記も「kwan」とするようになった>も不適切な説明である。というのは、記者はkuanとkwanの発音が異なると考えているようだが、これらは同一の発音である。中国語では韻母(母音及び子音で構成される)の一つにuanがあり、これの頭に声母(子音で構成される)、たとえばk、がくっついて一つの音節kuanができあがる。中国語のピンインでは「ゼロ子音」と言ってuanの頭に子音のない音節はwanと綴ると規定されている。つまり、これは綴り上の問題なのであって、uanとwan、そしてkuanとkwanとは同一の発音を表す。したがって、kwanの方がkuanより発音しやすいということもない。
(2)次に下記の記事について検討しよう。
<日本語でも、かつて「関」は「クヮン(クワン)」と仮名表記された。だが、実際に発音する際には「カン」が優勢だった>
まず前半について、かつて「関」は「クヮン」と仮名表記されたと言うのは間違いである。すなわち、日本の歴史的仮名遣いでは「ヮ」という小さい文字は無かった。したがって、かつて「関」は「クワン」又は「くわん」と仮名表記されていた、というのが正しい。
後半の<実際に発音する際には「カン」が優勢だった>も間違いである。奈良時代に万葉仮名、そしてあのあと平仮名が制定され、漢字の発音が示されるようになった。漢字導入当時、「関」は「くわん」(kuan)と発音されていたが、それが徐々に「かん」(kan)に変化し、少なくとも江戸期には「かん」と発音されていたと考えられる。この「くわん」「クワン」は、歴史的仮名遣いと呼ばれるものである。明治時代になってから、歴史的仮名遣いと実際の発音が大きく異なる*ことから、教育面の効率も考えて、表音的仮名遣いの採用を主張する識者もいたが、それに反対する者も多く、明治政府は、公教育に歴史的仮名遣いを採用することに決定した。歴史的仮名遣いが、実際の発音に合わせて現代仮名遣いに改正されたのは、第二次大戦終結後である。したがって、先に述べたように、「カン」という発音が優勢だったというのも間違いである。
関西学院大学が、「関西」のローマ字綴りをいつ制定したのか不明であるが、もし戦前に制定したのであれば、「関」については歴史的仮名遣いをローマ字化したと考えられ、戦後に制定したのであれば、歴史的仮名遣いを踏襲してローマ字化したと考えられる。なお、「西」の発音には「せい」及び「さい」があり、「関西」の「西」はふつう「さい」と発音されるので、あえて他の「関西」との違いを強調するために「せい」を採用したのであろうか?このあたりは、さらに調査しないと分からない。
この「新聞記事を嘆く」で筆者が言いたいのは、「新聞記事に間違いがあってはならない」という当たり前のことである。今回の記事は、中国語及び歴史的仮名遣いに関連することなので、記者はこの「記事」を発行する前にこれらの分野の専門家に相談すべきであった。また校閲部門も専門家の意見を尋ねたかどうかを記者に確認する必要があった。今後、このようなことのないようにしてもらいたい。
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*余談であるが、綴りと実際の発音の違いについては、英語にも同じ現象が見られる。たとえばknightは綴りと発音がかなりかけ離れているが、いまだにこの綴りが用いられている。英語のknightの語源は古代英語(1100年以前)のcnihtであり、これは召使いを意味する1)。また、knightはドイツ語のKnechtに対応し、この語は、昔は騎士の従者を意味していた2)。英語の起源は、5世紀頃にドイツのエルベ河の下流に住んでいた、アングル族、サクソン族が英国島を占領してもたらしたことに始まっている3)。その当時英国にcnihtという綴りが存在したかどうか不明であるが、長い年月を経て現在のknightという綴りに変遷したと考えられる。
アルファベットは、本来表音文字であるが、一種の表象文字の役目も果たしている。すなわち、実際の発音に即して綴りを変えるなら、knightもnightもniteとなるだろうが、knightとnightを残しておけば、視覚的にこれらの単語の意味の違いは一目瞭然である。ただし、日本語の場合、通常の文章は漢字仮名混じり文で書かれるので、歴史的仮名遣いを残すかどうかについては、英語とは事情が異なることに注意しなければならない。
1)小川芳男編「ハンディ語源英和辞典」有精堂、1967
2)矢儀万喜多他編「新修ドイツ語辞典」同学社、1981
3)三好助三郎「独英対照文法」郁文堂、1959
 

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